1945年8月6日午前8:15
一瞬にしてすべてを奪う原爆が投下された。
この時間に黙とうをすることが、
毎年のルーティンとなっている。
平和宣言で何を語るのか?は、毎年の僕の関心事。
毎年、厳しい言葉で訴えかけている。
中々進まない核撲滅の運動に対しての、
焦りや憤り、やるせなさ。
今年は、特に重要だった。
ロシアの侵攻、核兵器を使うことを示唆し、
脅しをかけている。。。
僕自信も少なからず狼狽えた一人。
もはや平和は、口を開けて待っていれば享受できるものではない。
積極的に働きかけ、努力をしなければいけない。
核兵器が抑止力になる。
ここ最近の論調。
しかし、その先には、
77年前の広島・長崎の姿が待ち受ける。
誰も願わない未来。
僕は戦争はしたくない。
僕は戦地に行きたくない。
僕の知っている人々を誰かに殺されたくない。
僕自身も、誰かを殺したくない。
僕の子どもたち、社員の子どもたちを戦地に送りたくない。
極めて利己的ではある。
だから僕は平和を維持する努力をしたい。
8月は、そういったコトを考える月。
当然に毎日こんなことを考えているわけではない。
それどころでないの毎日が現実。
だからこそ、こういった節目の日に、
考える時間を持ちたい。
ここ最近は、少々きな臭い。。。
つまらないことで笑い合い、
どうでもいいことで喧嘩して、
人との暖かさに涙する。
そんなどこにでもある当たり前の日常が、
これから先も続きますように。